電気屋の鉄道資料館

ヤフーブログの廃止に伴いこちらに移動してまいりました。 旧ブログ名は「電気屋の鉄道ブログ 新館」です。

2019年07月

和銅黒谷駅付近で撮影後はもう一度追い越して撮影することにしました、この日は三峰口駅前の福島屋さん(食堂)にちょっとした用事がありましたので「ついで撮り」です。

通称「中山峠」などと呼ばれている所のカーブした鉄橋での撮影です、山が迫るこの辺りでは時々雨がぱらつく天気でしたが幸い列車の通過時には止んでいてくれました。

イメージ 1
ここでも運転席から乗務員が乗り出して、前方の安全と信号の確認をしています。SLの運転席はあまり見通しが良くないのでカーブなどではこうなるようですね。

イメージ 2
機関車が色あせた鉄橋に乗った所で次の1枚。

イメージ 3
特徴的な架線柱が入った所で少しワイドに撮影。

イメージ 4
その架線柱などを白煙が覆い隠した所でもう1枚。

イメージ 5
機関車が鉄橋を渡り切る位置まで来ました。

波久礼駅を過ぎたカーブで撮影後、先回りして和銅黒谷駅の先にある築堤を下から見上げて撮影。普通に皆さんが撮影しているのと反対側の線路下です、何故ここに行ったのかと言うと「野カンゾウ」の花がたくさんあったからです。先程のカーブにもいくつか咲いていましたが、あまりきれいな状態の花ではなかったのでここでさっそくリベンジです。


イメージ 1
和銅黒谷駅を過ぎてここから武州原谷貨物駅まで、鉄橋を除けばほぼ全て登り勾配になっています。ここでは乗務員2人が身を乗り出して、前方の信号の確認に余念がありません。

イメージ 2
この辺りには「野カンゾウ」のオレンジ色の花がたくさん咲いています。

イメージ 3
ここまで来ると乗務員が機関車内に引っ込んで良い感じになりました。

イメージ 4
パレオエクスプレス通過の10分ほど前に三峰口へ向って行った7001編成、こちらも「野カンゾウ」の花をたくさん入れて撮影しておきました。


いよいよNRA(10000系特急車両)の廃車が始りました、西武鉄道初の特急5000系レッドアローの後を継いで1993年にニューレッドアローとして登場した車両ですが、001系ラビュー登場により世代交代することになりました。

今日は横瀬駅へ行って廃車第1号となった編成を撮影しました、なんとも皮肉な事に「プラチナ」編成として秩父夜祭の山車がラッピングされた編成が最初に廃車される事になったようです。


イメージ 1
本線を001系「ラビュー」が通過します。

イメージ 2
001系が少し進んだ所でNRAを大きめに撮影。

イメージ 3
更にホームへ入って行く001系との並びを撮影、「新」・「急」の車両がクロスに停まります。世代交代というよりも「時代」が変わる感じですね。

ここからはNRAに絞って撮影。


イメージ 4
   縦に構えてズームアップしてみました、「プラチナ」ですね。

イメージ 5
すでに架線の無い「解体線」に押し込まれています。


東武8000系の出場車両が寄居駅に到着後、側線で伴走車の切り離し作業を行うのを撮影していると八高線の高麗川方面行き列車がやって来たので「並び」を撮影しておきました。

最初は気づかなかったのですが、目の前を通って行く時に窓周りの黒さに気づいて「はあ?」と思い何枚か撮影しておきました。後から調べてみたら「SLぐんま×八高線」ラッピング車だそうです、D51498の復活30周年記念でキハ111-204の窓周りに片側だけD51の姿をラッピングしているようです。

イメージ 1
東上線と秩父線の間で8000系の切り離し作業が行われています、手前の八高線ホームから2両編成の高麗川行きDCが発車しました。

イメージ 2
DCが接近して8506編成と顔を合わせた所でもう1枚、後ろの車両の窓周りが何かおかしいですね。

イメージ 3
目の前を通り過ぎた所で見ると少しリアルさは欠けていますが、D51のサイドビューですね。

イメージ 4
運転席部分を入れてもう1枚撮影。

東武8000系の検査出場車を秩父線内の羽生駅から寄居駅までエスコートして来た「8506編成」が寄居駅から折り返して来ます。

予定されているダイヤが八高線の下り高崎行きと1分差らしいので(八高線が先に発車)この場所から並走する姿が撮れる可能性があります。以前にもそんな事があったのですが、何故かダイヤ通りに走ってくれずなかなか上手く並ばないのですね。


イメージ 1
   なんと秩父線の線路に東武の8506編成が先に現れました。

イメージ 2
   八高線は8506編成がここまで来た時に姿を見せました。

イメージ 3
   双方の間隔は200m程でしょうか、追いつけば良いのですが。

イメージ 4
ここからはカメラを横に構え直して撮影しました、2本の列車の間隔は少し開いてしまったように見えます。

イメージ 5
8506編成は間もなく陸橋の下に入ってしまいますが、八高線のDCはまだ遥か彼方を走っています。以前この辺りで八高線が凄い勢いで加速し追いついて並んだ例もあったので期待したのですが、今回は「マイペース」で走っていたようです、性能的にも電車とディーゼル車では差が有りそうですね。


先日入場の回送を掲載した「青い鳥号」が一般色に塗装変更されて検査出場しました、せっかくなので秩父鉄道と解る場所を選んで撮影しました。


撮影場所は小前田駅の熊谷側、構内はずれの小さな踏切からです。


イメージ 1
熊谷方から伴走車の8506編成に連結された出場回送列車がやって来ました。

イメージ 2
近付いた所でもう1枚撮影、手前に「野カンゾウ」が咲いていました。

イメージ 3
踏切を通過し小前田駅構内へ入って行きます、右端の線路には交換待ちしているヲキ貨物列車が見えます。(これぞ秩父鉄道である証拠です)

イメージ 4
8198編成が小前田駅の下りホームへ入って行きます、交換待ちしている上りヲキ貨物列車はデキ301号機の牽引でした。

イメージ 5
デキ301号機と並ぶ位置に来た所でもう1枚撮影。

この後は寄居駅へ行って少し撮影し、その後は国道の桜沢陸橋へ行って見ました。実は伴走の役目を終えて羽生駅へ向う8506編成が、寄居駅から桜沢駅間の直線で八高線と並走する可能性があるのです。


今日は平日ですが「夏休み」に入った学校も多く、パレオエクスプレスも運転されています。

19日・20日は秩父の川瀬祭でしたが、20日~22日は熊谷のうちわ祭が行われています。パレオエクスプレスも20日と22日にそれぞれのHMを掲出しての運転になりました。


今日は3ヶ所で「熊谷うちわ祭」HMの下りパレオエクスプレスを撮影したので順次載せて行きます。


イメージ 1
国道から少し離れて大きくカーブして来る場所に沢山の「野カンゾウ」がオレンジ色の花を咲かせていました。

イメージ 2
   ここからは縦構図で撮影しました。

イメージ 3
   パレオエクスプレスは速度を上げながら迫って来ます。

イメージ 4
   今回のHMは淡い色目なので確認しにくいですね。

イメージ 5
   そんなHMを付けたC58363号機を中心に最後の1枚。


この後は和銅黒谷駅の先の築堤と武州日野駅先の「中山峠」の鉄橋で撮影しました。

和銅黒谷駅から「川瀬祭」真っ最中の市内を迂回して浦山口駅先の撮影ポイントへ向いました、HMを撮影するのにはなるべく線路に近い方が好都合なので撮影場所が混まないうちに行きたかったこともありますが・・・
ところが現地に着いてみると、いつも10人近い撮影者がいるこの場所に今回は誰も居なかったのです。


道路から線路側へ向って少し降りる事ができる草むらへ入って動画も撮影する事ができました、結局列車の通過まで誰もやって来ませんでした。

列車はいつものように浦山川の鉄橋を越えると黒煙を盛大に上げ、ドレインも吐き出してくれました。


イメージ 1
   浦山口駅までは連続した下り勾配なので、ほぼ無煙で来ますが鉄
   橋を渡ったこの辺りから毎回黒煙を盛大に上げてくれます。

イメージ 2
   カーブして機関車がこちらを向きます。

イメージ 3
   ここでまたドレインを放出してくれました。

イメージ 4
   少しワイドに撮影し背景に山と空を入れました。

イメージ 5
   すぐ目の前に来た所で一直線になった列車を撮影。




秩父市内では昨日・今日の2日間「川瀬祭」が執り行われています、子供達が主役で屋台・傘鉾を牽く夏祭りですが、他に大きな御輿を大人達が担いで荒川まで行き「御輿洗い」(川の水を掛けて清めるみたいですね)を行い戻って来る行事もあります。

各町内の8基の屋台・傘鉾は川の近くまで街なかを牽き降ろされて御輿を迎えます。私が子供の頃は荒川に近い「中村町」の各辻に1台ずつ屋台・傘鉾を牽き込み、御輿の通過を待った物でしたが現在では車の往来も多く辻をふさぐ事ができないので、「ちびっこ広場」と呼ばれる所にすべての屋台・傘鉾を並べるようになっています。


そんな「川瀬祭」のHMを掲出して走るパレオエクスプレスの姿を撮影しました。


イメージ 1
和銅黒谷駅で上りの急行電車の通過を待って、発車して来ました。構内ではかなり凄い黒煙だったのですが、ここまで来るとかなり薄くなってしまいました。


イメージ 2
   ここからは縦構図で撮影しました、線路左右にオレンジ色のユリ
   のような花(「ノカンゾウ」だと思います)が沢山咲いています。

イメージ 3
   この先はゆるい勾配になっているので少し黒煙が増しました。

イメージ 4
   爆煙を期待して上を空けましたが空振りでした。

イメージ 5
   青地の「秩父 川瀬祭」のヘッドマークです。

イメージ 6
   曇り空で色が今一つでしたが、なかなか粋なヘッドマークでした。


この後浦山口駅先の国道脇から撮影しに向いました、いつもは数人から10人くらいの撮影者がいるのに何故か今日は撮影者が全く居らず、私一人で撮影して来ました。



炭水車のパレオパラドキシアのロゴマークについて書きましたが、今日はかつて旧客使用時代に機関車の前面下部に表示されていた事がある「PALEO EXPRESS」の文字についてです。


私は秩父鉄道での運行が始まる前の試運転(いわば入線試運転)から撮影していたので、結構色々な姿を撮影していました。


イメージ 1
波久礼駅を出て国道と荒川と並走する下りの試運転列車、この頃はまだランボードに白線があるだけで装飾は付いていません。

イメージ 2
広瀬川原工場近くを通過する試運転列車、白線だけなのが良く解ります。ヘッドライトも点灯していなかったんですね。

イメージ 3
正真正銘の「本線運転初日」の下り列車、大麻生駅を出て来た所です。炭水車にはロゴマークなどの装飾が有りますが、機関車正面には文字は書かれていません。

イメージ 4
こちらは秩父駅で機関車の転向・付け替えが終わり、側線からホームへの入換中の姿です。セメント工場への三角線を使って機関車の向きを変えて連結していました。(当時は三峰口駅から秩父駅までの上り列車はデキが牽引しました)その間客車4両は側線に停めたままで、もちろん乗客は「カンヅメ」状態でした。

イメージ 5
その後砂箱(?)の前部に金色の文字が書かれました。
雪の日に撮影した、樋口駅を発車して来る上り列車です。

イメージ 6
   砂箱の文字が消え、煙室扉前に弓形のプレートが付けられました。
   和銅黒谷駅を過ぎた所の横瀬川橋梁を渡る下り列車です。

イメージ 7
こちらはかなり珍しい写真です、極短期間でしたが砂箱部分の文字と煙室扉前の「弓形」プレートの両方が付いていました。
大野原駅にて下り列車。

↑このページのトップヘ