電気屋の鉄道資料館

ヤフーブログの廃止に伴いこちらに移動してまいりました。 旧ブログ名は「電気屋の鉄道ブログ 新館」です。

カテゴリ: 古いネガのスキャン

ネタが無いもので、色んなことをやっています。明日からはまた「ELパレオ」があるので撮影に行って見ようかと思いますが。


今日はスキャンしてみた物の中で、まあこれなら載せても良いかなぁと言う範囲の写真を何枚か・・・   当時は「ボツ」でも今なら記録として笑って見られるかなと思いまして掲載します。



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古河付近の鉄橋を越えた上り側では無いかと記憶していますが、大きなカーブを通過して行くEF65PFが牽引する寝台特急「北斗星」と思われる列車。

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同じ場所での撮影分、この頃はEF81が牽引していたようです。大きなカーブの後追いで「北斗星」テールマークをカーブで編成を含めて撮影したのですが、ピントも合っていないし先頭の機関車が「赤い」ことしか解らない状態です。
あと1両分手前でシャッターを切ればなあ・・・



続いては「横軽」がつながっていた頃の信越線、群馬八幡~安中間のカーブでの撮影分。

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雨降りで白っぽくなったのはまだしも、機関車(EF62)の先頭部が架線柱に掛かっていました。もうちょっと早いか遅いかでシャッターを切れよ昔のオレ! 今ならば連写して良いのを使えますが、当時はフィルムなので現像するまでわからず。フィルムそのものが24枚撮りとかなので、1枚2枚しか撮影していません。

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多分「ユーロライナー」が来る前に撮影した信越線特急「あさま」、7両までしか後部が写っていませんので何両編成の時期だったのかも解らず。



撮影に行ったのが東武熊谷線(通称:妻沼線)が廃止になる少し前の事だったので、昭和57年から58年あたりと思われます。撮影場所は上熊谷駅を出て妻沼線が右へ大きくカーブしながら築堤を登って行く場所でした、熊谷方面を向くと右下には石原駅付近の秩父鉄道(一見すると複線鉄道風)そして眼の前には上越新幹線の高架が連なっています。

実はこのカーブで東武キハ2000系のカメさん号を撮影するだけでなく、あわよくば新幹線との並び<うさぎとカメの並び>を撮れないかともくろんだのですが、そんなに甘くは無かったのでした。実際昼間の東武線は1時間1本あるかどうか程度、そして当時は上越新幹線もかなり本数が少なくて並びなど到底無理な話でした。

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上りの上越新幹線<200系>が轟音と共に通過して行きます、右下に秩父鉄道の踏切が見えますが線路は2本あります、この辺まで石原駅の構内なんですね。もちろん眼の前の線路は東武熊谷線です。

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200系新幹線の後部を撮影。

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廃止が近いためでしょう、大勢の乗客を乗せて「カメさん号」が築堤を登って来ました。








ネガから取り込みした物をなるべくきれいに仕上げてみました、当時のネガはあまり性能も良く無かったのに更にカメラ側の問題でごみが写り込み、スキャンしても後処理が大変ですね。


ISO感度も低く(ISO100ばかり)天候により、また光線の加減で昼間でもきれいに写りにくい、更にカメラは自動焦点では無いのでほとんどの場合(初心者でしたし)<無限遠>に合わせて置いて、適当に絞りとシャッター速度(大体250分の1から500分の1あたりで)を合わせて撮影していました。


そんな中から処理した物を3枚、東北線のいわゆる近郊区間内で撮影したものです。

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ヘッドマーク「赤地に白い羽」、481(485)系9両編成の特急「つばさ」ですね。

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同じ場所での撮影のようですが、こちらは14系座席車を長く連ねた夏季の臨時特急「あけぼの51号」かな。他日に撮影した別のネガには後部を撮影した物があり「あけぼの」の文字マークが出ていました。
この頃は寝台特急「あけぼの」は奥羽本線~東北本線経由で運行されていました。


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こちらは久喜駅付近の「はえたたき」の下ですが、この頃走り始めたEF651000番台が重連で牽く貨物列車です。次位の機関車もしっかりと2丁のパンタグラフを上げていますので回送と言うわけでは無いみたいですね。




記録によれば昭和58年3月、青梅線からED16形式機関車が引退した時の撮影です。
青梅線ではED16の後にEF15が運用されていた時期があり、その間と言うかED16の末期からEF15になってからも混ざって運用されていたのがEF64の若番機だったと思います。


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この写真があるので日にちが確認できますね。EF64の17号機、かなりきれいな状態での運用でした。


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こんな感じで「奥多摩貨物」の運用に入っていました。

ED16の運用末期に何度か撮影に行ったのですが、時にEF64がやって来る事があってガッカリしたのを覚えています。
EF15になってからも混用されていたような気がします、EF15は珍しさから動画を撮影しに行っていました。



ネガのつながりからここへ飛びました、結構苦労して川原まで行ったのを覚えて居るのですが行って見たらまともな写真はほとんど撮れなかったようです。


内容的には「あさま」とか「とき」あるいは「ひばり」などのボンネット特急、貨物列車を牽くEF15らしき姿そして国電の103系、この頃はまだ「旧国」も走っていた気がしますがこの時に撮影できたのは「新型国電」だったようです。


仕事で日本橋と大宮を行き来している時に、赤羽駅で私の乗っている高崎線が低いホームに停まり、列車の窓から見えるすぐ上の線路に京浜東北線が停まると茶色の「旧国」はブレーキの火花が凄く、こちらまで降りかかって来そうなほどでした。


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EF15でしょうか?ワムやらワラなどを長く連ねた貨物列車が頻繁に通っていました。

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反対側からの撮影かな京浜東北線の10両編成、103系でしょうね。

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ボンネット特急を一生懸命撮影したようですが、場所柄どう頑張ってもこんな風にしか写せませんね。

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左側にはフィルムに光線被りが・・・ 現像処理時なのか製造過程なのか何コマものネガの途中なのに当時はこんなネガが時々有りました。

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こちらは川面に小船があったのでそれを入れて撮影したようです。



以前同様な写真を載せたところ、「はえたたき」がこんなに近郊区間には無かっただろうとの指摘を受けた事がありましたが、他のネガをスキャンしていたら「久喜駅付近」でほぼ間違いない写真が数枚出て来たので載せておきます。
「はえたたき」そのものはずらりと残っていたのですが、既に信号ケーブルは外されているように見えます。


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何よりも決定的な写真です、左側にはずらりと大規模な「はえたたき」が連なりますがEF57の牽く上り旧客列車の右側に東武伊勢崎線の旧型電車が写っています。平面で合流して行くので、久喜駅で間違いないと思います。
若かりし頃の私はおそらくEF57を撮影しようとしていたのに、向こう側に東武電車がやって来たので同じ画面に入れたくてこんな位置でシャッターを切ってしまったのでしょうね。紙焼きしたプリントはボツ写真で処理してしまったようです。

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位置関係から見ると上りの583系「はつかり」を後追いしたものだと思います、右側に隠れてしまいましたが「はえたたき」が並んでいるようです。

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なぜこんなひどい位置でシャッターを切ったのだろう?多分同じ区間での下りの165系6両ほどの電車です、「急行」の表示が見えます。

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EF1573号機牽引の貨物列車、下りかな?。機関車の屋根の向こうにいくつかの大きな「はえたたき」が見えています。



スキャンデータのファイルを見ていたら、こんなのが有りました。昭和時代の上野駅での一コマですが、それぞれに「らしさ」が有りましたね。


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「うえの」の駅名板を入れて、<新聞輸送>の積込風景を。115系(859Mなのでおそらく高崎線の15両編成)冷房は付いていますが、ヘッドライトは原型の「デカ目」です。今でもこんな輸送が有るのだろうか?

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   同じ電車でしょう、積み込まれた新聞を撮影していました。


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485系1500番台の特急「はつかり」を中心に撮影、その向こう側にも特急がいますが何と言っても手前の客車が・・・  これぞ上野駅。

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   「はつかり」が停まっているホームから撮影、左側には東北線の
   急行らしき電車の姿が有ります。



当時のSLダイヤ情報誌に載っていて、一度は行ってみたいと思った場所ですが峠を登って行かなければならず、夏場の事で「熱中症」になりかけた事を思い出します。峠の途中に有った茶店のような所でかき氷を2杯食べて回復し、かろうじて撮影地にたどり着きましたが結局撮影できたのはこの列車だけだったようです。鉄橋周辺の雰囲気と背景の杉「美林」が素晴らしいと思ったのですが初心者の私にはきれいに撮影できませんでした・・・


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   鉄橋の前後がS字にカーブしているのが特徴的な景色、でも時間
   的に逆光線になって機関車の正面は黒くつぶれてしまいました。
   カラーでなくても同じ感じですね。

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   距離があるのでここでも「テレプラ」を付けていたようです。

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もう1台のカメラはモノクロフィルムで標準レンズ、もう少し長いレンズで撮影しておけば良かったのに。

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ここまで来れば少し大きめな「門デフ」装備の9600である事もわかりますね、そして向こう側の山の良く手入れされている杉の美林も。


今はこの近くに駅ができているような・・・



この写真は画質が悪くあまり自慢できた物ではないのですが、あくまでも記録として見て戴ければ・・・ 

曇り空で撮影場所からの距離もある為に「テレプラ」を装着した撮影で、ピントも良くないし画質は荒れるしで情けないような画像ですがご容赦下さい。


2両の9600形式が本気の爆煙で、石灰石満載の長い貨物列車をプッシュプルしていました。


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カーブを抜けて先頭の機関車が長い直線へ入って来ました、林の向こうに後部補機の煙が上がっています。

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先頭の本務機の煙が後ろの編成を隠さない位置まで来た所で。

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それほどきつい勾配には見えないのですが、直線に入ってからの煙は黒煙混じりで凄い物になっていました。数えてみると編成両数は30を越えていました。貨車の自重も含めると1両が50トンほどになる計算ですから、この列車は1500トン~1600トン有ったのでしょう。当然爆煙になるはずですよね。

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ネガの保存が悪く上の右方に黄色いところが出ています、昔は現像処理も良くなくて保存が少し悪いと変色やカビが出てしまいましたね。


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後部補機です、筑豊では9600形式の「デフなし」機は後部に連結される事が多かったような気がしますが理由があったのでしょうか?


田川線をしばらく進み油須原より先へ行ったようです、どこの駅なのかな?記録して有りませんでしたもちろん記憶もなし・・・ 駅の近くに高台がありS字カーブを見通せる場所でした。

機関車は全て9600形式ですが逆向きで貨物列車を牽引する物や前向きで普通にやって来る物、時にはプッシュプルで2両とも逆向きだったりと運転するには苦労の多い路線だったのでは無いでしょうか。


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少し大きめな門デフ装備の9600が普通に前向きでご機嫌よろしくやって来ました。

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こちらの9600は良く見ると逆向き牽引です、向こうのS字カーブへ向って走って行きます。

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そしてこの列車は後ろ向きの9600が牽引してこちらへやって来ました、後部にはやはり逆向きの9600が白煙を上げてプッシュしています。
この列車にはいろんな貨車が連結されていました、石灰石か石炭用の貨車が先頭部分でその向こうにはワムなどが繋がれて更にトキかトラらしき物も数両見えますね。


二本並びの「腕木信号機」の状態でも列車の走行方向がわかりますね。

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